2012年8月19日日曜日

Japan Club in IVC そしてボランティア活動

2009年5月6日



 2008年の終わり頃から、あるクラブサークルに参加し始めた。Kaplan のあるIrvine Valley Collage に、大学生が運営しているクラブ活動、Japan Club がある。Kaplan の日本人留学生から勧められたのだが、アメリカの大学生が日本人と交流を持つのが目的とのこと。授業で日本語を勉強するだけでなく、その学習を生かして日本人といろいろな話題について話し合いをし、日本の文化や習慣を知るという。日本人である私にとっては何ともうれしいことだし、できることなら協力したいと思った。ただ、60歳を過ぎた初老の男性を相手にしてくれる大学生がいるだろうか、ちょっと心配だった。

心配は杞憂だった。皆とても親切で、年齢に関係なく話の輪に入れてくれた。うれしかった。


 その後、教授の先生が参加されたとき、何とか私の知識と経験を生かしてもらえないだろうか、という欲を持ち、先生に自分を売り込んだ。何しろ校長をやっていたので日本語の添削などお手の物である。東京では公立学校の校長、教頭(今は副校長)になるためにはまず論文の試験に合格しなければならない。試験当日、与えられた課題について2000字の論文を書かなければならない。しかも2本。試験勉強はまず作文練習である。短い時間で1800字〜2200字くらいの論文を書けるようになるため、毎週2000字の作文を書いていた。また、校長になると、幹部教員の作文や教科研究会の紀要原稿を、たくさん添削しなければならない。誰よりも適任だと思っていた。

教授は授業のサポートをしてくれるボランティアを探していたらしい。早速ボランティアをやることになった。私はF-1ビザなので働くことができない。日本だったら、ボランティアでも車代とか食事代とかいって少しはもらえるのだが、アメリカでは全くない。それどころか駐車場代を払うこともあった。(IVCではボランティアにパーキングシートを発行してくれたので無料になったが、この後始めたUCIでは学校として全くそういったシステムがない)

ボランティアは予想に反して、先生方の小間使いだった。校長経験者がこんな小間使いみたいなことできるか、と頭に来たこともあったが、アメリカ人の若い学生たちと話ができるのはとても魅力だった。何しろ語学学校では先生以外正しい英語を話せる人がいないのだから。どの国の学生も自信を持ってその国独特の英語を話す。

次の先生はもっと何もさせてくれなかった。日本語の例文すら読ませてもらえなかった。私なら正しい日本語で読めるのに。そんなとき、ふと思った。お前は教育のプロだろ。だったら先生がどんな意図でいま授業をしているか分かるだろう。先生が授業をやりやすくできるようにサポートしてみろ、授業を演出してみろ、そんな気持ちが沸々とわき上がった。先生がジョークを言ったときは積極的に反応し、一斉に読むときは出だしをはっきりと言い、だんだん声を小さくする。授業中よくクラスを見回し、ヘルプの必要な表情の子を読み取り、授業の邪魔にならないようにさりげなくサポートする。光のコントロールからホワイトボードの管理まで、先生に言われる前にやろうとした。楽しかった。それから先生もだんだん私を信頼し始めてくれた。

5月の上旬、IVCではクラブのブースを出して会員を募集するイベントがある。3回くらい事前に集まって様々な展示物やプレゼント、食べてもらう軽食の相談などしてきた。当日みんなとっても生き生きと参加していて気持ちよかった。私も小さなのれんをテントにつけて参加した。

アメリカ生活が楽しく前向きに生活を送れる転機になったのが、このJapan Club だった。今でもとても感謝している。





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