2012年8月30日木曜日

Bridge 夏祭り

2009年7月12日

ここカリフォルニアで発刊されたBridge USA という雑誌がある。日系のスーパーなどにおいてあって、自由に持っていける。そう、ただなのである。日本やアメリカの情報がただで手に入る、こんなうれしいことはない。この雑誌は月2回発行されるのだが、毎年夏になるとTorrance という街で夏祭りを開いてくれる。日本にいるとTorrance という街は聞き慣れないが、日系の工場やお店がたくさんある。最初Los Angeles に来た日本人はダウンタウンにリトルトウキョウという街を作ったが、戦後、日本の企業がアメリカに進出してきてLos Angeles の郊外にある工場地帯に拠点を築いた。いまではTorrance の方が、日本人は多いかもしれない。そこで夏祭りがHonda の工場の隣、シビックセンターの敷地内で行われるのだ。ちょっと狭い感じはするが、それでも準備は大変だと思う。
この日浴衣でもハッピでも日本の和風の姿で行けば飲み物が1本タダになるのだ。それでこんな服装をしていった。子どもたちはまだ小さいのであまり楽しめなかったようだが、家内と娘はかなり興奮していた。やはり日本人にとって祭りはなくてはならないものだと思う。それがアメリカで体験できるなんて、最高な1日だった。





さようなら、Kaplan!

2009年5月29日

7月まではまだ時間はあるが、1年間学んだKaplanはこの日卒業した。実は頑張ったかいがあって、High Intermediate のクラスに合格した。もしこのまま続けて10週間いたらIVCに行ける。でも、窓から見た授業はそれほど魅力はなかったし、この年になって新たな目標も持てないので、安い他の語学学校へ通うことに決めた。後から考えると、たとえどんな教科であってもガレッジや大学へ行っておいた方がよかったと思う。語学学校の学生はアメリカでは正式な学生とは認められないので、学校を出ても何の特典もないのだ。若い人はもちろん自分でやりたいことがあるならかまわないが、そうでなければ、絶対進学を勧める。
このクラスがIntermediate、ジョディ先生のクラスだ。ジョディ先生の真剣なご指導で、もう一つ上のクラスがぎりぎりで受かった。ところがやっぱり私は日本人なのだ。進級を辞退した。バカだよね。でも私はその方がいいと思った。実は卒業の日、みんなの前でスピーチをするのだ。ところがHigh Intermediate にあがると上のグループでスピーチしなければならない。お世話になったジョディ先生や、アダム先生、スターリング先生の前でスピーチができない、これは仁義に反すると思った。仁義ねぇ。でも私は自分のスピーチの中で3人の先生に絶対お礼を言いたかった。だから進級を辞退した。やっぱり古い人間だと自分でも思う。3人の先生方のうれしそうな笑顔を忘れない。





Kaplanでなくても同じだが、やはり若い人はどんどん私を追い抜いて英語が上手になっていく。最初は自信のなさそうな子たちもすっかり自信を持って次の目標に向かう。やっぱり若さってうらやましいと思った。ところで上の写真に写っている男の子は韓国人だがとても優しいいい子だった。私より数ヶ月後に卒業するがその後兵役があるので帰国しなければならないという。日本では思いもしなかった現実に直面し、「そうだ、世界はまだいろいろなところで戦争や紛争があるんだ」と気づかされた。日本は武力を行使しないために、日本を含めた世界は平和なんだと錯覚している。日本の役割、世界での立ち位置はどこだろうと、考えさせられた。
いつか話したアダム・グリーン先生。私が一番長く教えていただいた先生だ。彼はサーファーで、朝4時に起き、サーフィンをした後、語学学校で英語を教え、終わったらまたビーチへ行ってサーフィンを楽しむ。車にはいつもサーフボードが載っている。ただ、この日はオートバイだったが。この先生と前にドジャー球場でお目にかかったのだ。このときはたとえ相手が先生でも私は日本を思いっきり応援した。





2012年8月21日火曜日

Norton Simon Museum in Pasadena

2009年5月24日

バーベキューパーティをさよならして帰ろうと思ったが、まだ2時半過ぎ。それなら近くの博物館か美術館に行くことにして地図で探した。近くにPasadena があり、確かNorton Simon Museum があったはず、すぐ行こう、ということで出かけた。Old pasadena のすぐ近くなのに駐車場が無料。入館料も高くない。しかも美術館はフリーウェイに囲まれているにもかかわらず、大きな木立に囲まれていることもあって、とても静かだ。
 この美術館はアメリカ人実業家、Norton Simon の個人的なコレクションを基にして開設されたそうだ。(Wikipedia参照)
日本人の大好きな印象派の画家たちの作品が並ぶ人もなくゆっくりと鑑賞できるのもありがたい。マネ、モネ、ルノアール、ゴッホ、セザンヌ、ロートレックなど錚錚たる作品がまるで無造作に展示されているように飾られているのだ。日本なら長蛇の列になること間違いない。しかも、フラッシュをたかなければ撮影してもいいらしい。そんなバカな。でもみんな真剣に学ぼうという人たちが自分たちのお手本に撮影していくのだろう。絵画、彫刻が急に身近なものに思えてきた。



ここの美術館のもう一つの特徴は、南アジア、東南アジアの作品を数多く持っていることだ。今まで日本の仏像などを見てきた私にとってものすごくショックだった。日本の仏像は実に洗練されて整った美しさだが、こちらに展示されている仏像たちは躍動感にあふれ、時に思わず引き込まれてしまう魅力のある、実に素晴らしい芸術作品だ。静と動、時間が足りない。また来よう。

2012年8月20日月曜日

アメリカのバーベキューパーティにびっくり

2009年5月24日

アメリカでルームシェアした女の子一人が大学の卒業式を終え、公園でお祝いのバーベキューパーティを開くので私たちを招待してくれた。とてもうれしかったが、ちょっと用があって45分ほど遅れてしまった。連絡を受けた公園へ行ってみたが、それらしい人は誰もいない。間違ったかと思って近所の公園を回ってみたがそれらしい人はいない。焦ったり申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらもう一度最初の公園へ。うん?あの子はひょっとして?約1時間遅れで3人が集まり、これからバーベキューの準備をするとのこと。後で知ったのだが、バーベキューパーティの場合、2時間遅れぐらいでいくのがちょうどいいというか暗黙の約束事みたいだ。こちらでのセレモニーはだいたい約束の時間に到着して、それから準備を始めるということらしい。みんな車だし、途中で何があるか分からない。定時で動く乗り物があるわけではなし、だいたいその頃から準備を始めるよ、ということらしい。ちょっと遅くいくことがルールと言うかマナーと言うか、うん、ちょっと日本人には理解しがたいことだ。

これから焼き上がるまでまだ30分以上かかるというので、近くのモールにあるパーティシティ(イベントの飾りやセレモニーグッズを売っている店)でお祝いの風船やちょっとしたリボンを買ってまた会場へ戻った。

もう30人近く集まっていて、にぎやかだった。子どもたちが風船を喜び、早速取り合いをはじめたり、駆け回ったり。でもパブリックの公園なので、そんなに周りを気にすることもなく、和気あいあいとパーティは進んだ。別に誰かが仕切るわけでもなく、あいさつがあるわけでもなく、みんなでごちそうを食べながら歓談する、日本とはずいぶん違う。そう、アメリカでは結構いろいろな歓談をバーベキューパーティと称して、パブリックの公園で行うことが多い。たくさんの人が集まれるし、家を掃除しなくていいし、結構いい習慣だと思った。

約2時間、皆さんと歓談し、お腹もいっぱいになったので失礼することにした。頭の方も2時間英語ばっかりで大分疲れてきた。いやぁ、思うことの半分もはなせなかったな。

2012年8月19日日曜日

Japan Club in IVC そしてボランティア活動

2009年5月6日



 2008年の終わり頃から、あるクラブサークルに参加し始めた。Kaplan のあるIrvine Valley Collage に、大学生が運営しているクラブ活動、Japan Club がある。Kaplan の日本人留学生から勧められたのだが、アメリカの大学生が日本人と交流を持つのが目的とのこと。授業で日本語を勉強するだけでなく、その学習を生かして日本人といろいろな話題について話し合いをし、日本の文化や習慣を知るという。日本人である私にとっては何ともうれしいことだし、できることなら協力したいと思った。ただ、60歳を過ぎた初老の男性を相手にしてくれる大学生がいるだろうか、ちょっと心配だった。

心配は杞憂だった。皆とても親切で、年齢に関係なく話の輪に入れてくれた。うれしかった。


 その後、教授の先生が参加されたとき、何とか私の知識と経験を生かしてもらえないだろうか、という欲を持ち、先生に自分を売り込んだ。何しろ校長をやっていたので日本語の添削などお手の物である。東京では公立学校の校長、教頭(今は副校長)になるためにはまず論文の試験に合格しなければならない。試験当日、与えられた課題について2000字の論文を書かなければならない。しかも2本。試験勉強はまず作文練習である。短い時間で1800字〜2200字くらいの論文を書けるようになるため、毎週2000字の作文を書いていた。また、校長になると、幹部教員の作文や教科研究会の紀要原稿を、たくさん添削しなければならない。誰よりも適任だと思っていた。

教授は授業のサポートをしてくれるボランティアを探していたらしい。早速ボランティアをやることになった。私はF-1ビザなので働くことができない。日本だったら、ボランティアでも車代とか食事代とかいって少しはもらえるのだが、アメリカでは全くない。それどころか駐車場代を払うこともあった。(IVCではボランティアにパーキングシートを発行してくれたので無料になったが、この後始めたUCIでは学校として全くそういったシステムがない)

ボランティアは予想に反して、先生方の小間使いだった。校長経験者がこんな小間使いみたいなことできるか、と頭に来たこともあったが、アメリカ人の若い学生たちと話ができるのはとても魅力だった。何しろ語学学校では先生以外正しい英語を話せる人がいないのだから。どの国の学生も自信を持ってその国独特の英語を話す。

次の先生はもっと何もさせてくれなかった。日本語の例文すら読ませてもらえなかった。私なら正しい日本語で読めるのに。そんなとき、ふと思った。お前は教育のプロだろ。だったら先生がどんな意図でいま授業をしているか分かるだろう。先生が授業をやりやすくできるようにサポートしてみろ、授業を演出してみろ、そんな気持ちが沸々とわき上がった。先生がジョークを言ったときは積極的に反応し、一斉に読むときは出だしをはっきりと言い、だんだん声を小さくする。授業中よくクラスを見回し、ヘルプの必要な表情の子を読み取り、授業の邪魔にならないようにさりげなくサポートする。光のコントロールからホワイトボードの管理まで、先生に言われる前にやろうとした。楽しかった。それから先生もだんだん私を信頼し始めてくれた。

5月の上旬、IVCではクラブのブースを出して会員を募集するイベントがある。3回くらい事前に集まって様々な展示物やプレゼント、食べてもらう軽食の相談などしてきた。当日みんなとっても生き生きと参加していて気持ちよかった。私も小さなのれんをテントにつけて参加した。

アメリカ生活が楽しく前向きに生活を送れる転機になったのが、このJapan Club だった。今でもとても感謝している。





2012年8月18日土曜日

WBC準決勝、日本 対 アメリカ合衆国

2009年3月22日

まさかまさか、日本のプロ野球がアメリカで見られるとは!ちょうど時間が取れたのでインターネットでチケットをゲット!早速車でDodger Stadium へ出かけた。
さすがアメリカの球場、駐車場が広くてでかい。払う金額によって、入り口のすぐ近くだったり、入り口まで15分くらいかかるところだったり、地獄の沙汰も何とやら。

 出るときもさぞ大変だろうな、と思うのだが、以外と早い。出口が大きくて様々な方向から街に出ることができるからだろう。

開会式、日本とアメリカの選手が並ぶ中、参加各国の国旗が見れる。ちょっと分からない国もあるぞ〜っ!


松坂投手、先発。頑張れ、日本!

いい調子で投げている。この試合に勝てば決勝戦、相手は韓国だろうな。


イチロー選手の初打席、やっぱりフォームが独特だな。バッターボックスのこんな前で打っていたかなぁ。


日本のスターティングメンバーす。なかなか強烈なメンバーだ。これは期待できそうな予感。


何かトラブルかな?ピッチャー交代にはまだ早いぞ。どうやら続投らしい。頑張れ日本!ガンバレ、松坂!


おおっ、なつかし〜い!野茂投手だ。そうか、このDodjer Stadium が野茂選手の活躍した球場なんだ。


あれ、ダルビッシュ投手?こんなに早くピッチャー交代?確かに多少打たれ始めたけれど、ダルビッシュは決勝の先発じゃあないの?


勝った、9対4で日本の勝ち!やった〜、頑張った!今日はうれしいビールが飲めるぞ。




Los Angeles の夜景は本当にきれいだ。ここDodger Stadium の駐車場からもとてもよく見える。そして、右の写真、誰の車だと思います?私の車の斜め前、偶然ほぼ同じ時間に球場に来て、同じところに停めたのだ。その人の名は、Adam Green 先生。私のESLのクラスの担任で、とっても楽しい授業をしてくれる先生。みんな大フアンだった。先生は彼女と一緒だった。よせばいいのに先生「今日はアメリカが勝つから、悪いな!」「何言ってんですか、絶対日本ですよ」と先生の彼女を含め3人からステレオのように言葉の反撃が。そう、先生の彼女も日本人なんだ。その話はまたいずれ・・・。

2012年8月17日金曜日

メルヘンな世界? Solvang の町

2009年3月14日

Sequoia N P と前後してしまったが、Death Valley からのロングドライブ、最後の訪問地はSolvang の町だ。昨日の夜は土曜日とあって予約が全く取れなかった。仕方なく近くの町に宿泊したが、そこでバッグの置き引きにあってしまった。悔しいが仕方がない。教訓、モーテルなどの庶民派ホテルの場合、盗難にあったらフロント係ではなく、マネージャーに届けること。係の人間の場合グルになっている場合があるそうだ。








この町は20世紀に入ってからデンマーク人のコミュニティが作られ、それから発展してきたそうだ。Solvang とはデンマーク語でSunny Field のことだと、誰かのブログに書いてあった。本当にここはアメリカとは思えない。デンマークにはまだ行ったことはないが、アンデルセンの童話を読みながら、日がな一日のんびりとすごし、時折町を散歩してカフェで一休み。そんな老後は私にまだ残っているだろうか。夢だな。店を覗くのも楽しいものだ。





2012年8月16日木曜日

雪とコヨーテ、Sequoia National Park

2009年3月20日

General Sherman Tree の見学、夏はもう少し先の分岐を右に曲がり、駐車場へさらに右に曲がるのだが、そこをまっすぐ進むとWolverton Ski and Recreation の平原に出る。今は一面の銀世界だが、夏はどんな景色なんだろう。久しぶりに童心に帰って雪だるまを作ってみた。そう、英語ではSnowman。あっ、ごめん。おしゃべりしないで早く頭を乗っけて、だってさ。















またCA-198 にもどってKings Canyon へ向かうと、ほどなくLodgepolo Village & Market に到着。ここは冬でもキャンプができる数少ないところで、ほとんどの旅行者はここで一休みする。さらに進むと、立派なホテルWuksachi Lodge Village への道が右に分かれる。と、このホテルの前で、人間が6、7人いるにも関わらず堂々と近づいてくる動物がいる。犬?オオカミ?周りの人たちが「カヨリ、カヨリ!」と言う。あ、そうかCoyote ね。日本ではコヨーテと言っている。でもこんなに立派なCoyote なんているのかな。私のイメージでは痩せこけた野良犬みたいなんだけど、まるで秋田犬のように立派で堂々としている。カメラを向けても全く動じない。


 さらにCA-198を進むとGiant Sequoia が密集している場所に出会う。道ばたに十数台車を止めるスペースがあるので、安心して写真撮影できる。


そろそろKings Canyon に近づいたかなぁと思う頃に突然視界が開けて、駐車スペースがある。ちょっとした展望台があり、the Sierra Nevada の山々が遠くに見える。今まですうっと木々の間を縫ったドライブだったので、とても気分転換になった。


Giant Pine Cone。でかっ!でも持ってかえってはいけないと思う。自然はできるだけそのまま子孫に残したいものだ。でもすごい。こんなのがごろごろ落ちている。Kings Canyon のメインルート、CA-180 に出会い、一旦はビジターセンターに寄って遅いランチを食べ、これからMission Viejo まで帰る。ものすごく長いドライブだが、あとは家に帰るだけ、あわてずゆっくり安全運転だ。


山から下りてくると雪も消え、麓はもう春模様だ。とても牧歌的な雰囲気でもう少しゆっくりしていたいなぁ。でもアクセルを踏む。