2012年9月3日月曜日

Las Vegas の夜、Enjoy!!

2009年9月5日

夕方から街を歩く。人が多い。どこからこんなに集まるんだろう?アメリカ中から?いいえ、いろんな国の言語が飛び交っている。そう、世界中から集まっているんだろうなぁ。

世界中の街に行ったような気になる、それがVegasだ。  おっ、ちょっと太めのエルビス・プレスリー?

ここがホテルの中とはねぇ。日本にも同じようなショッピング街があるけど、こちらの方が道は広いし噴水のある広場もあって、とてもゆったりと過ごせる。Las Vegas の夏はとても暑いので、昼間は外を歩きたくない。こんなホテルの中のショッピングモールがあると助かる。



夕方になって益々増える人の波。人も車もこれからが渋滞だ。


The Mirage Hotel のボルケーノ・ショー。噴水や本当の火柱を使って見事な演出だ。Las Vegas にはもちろん素敵なショー(高額ではあるが)がたくさんあって選ぶのも大変だが、こんなフリーのショーも結構楽しめるし、たくさんの人が見学する。
しかも夜遅くまで何回もやるので、ディナーやショーと組み合わせて楽しめる。最後はカジノで朝まで遊ぶ?
ここは最後の最後まで私たちの財布からお金をもぎ取っていく街だ。でもたまにはこんな楽しみがあってもいいかもしれない、と最後は自分に言い訳をしている。

ここはThe Bellagio Hotel から見たParis Hotelだ。ちょうど月が昇ってきた。さぁ、そろそろ Bellagio の無料ショー、噴水ショーが始まるぞ。



Las Vegas で一番の人気無料ショーがBellagioの前で行われる噴水ショーだ。音楽に合わせて噴水が時には高く、時にはワイドに広がり、スイングし、飛び跳ねる。音楽もクラシックからポップス、ジャズ、映画音楽とバラエティに富んでいて何回見ても私たちを飽きさせない。ただ一つ風に弱いので、たまに突然中止になったりする。無料ショー唯一の悩みは突然中止になることだ。今回もAIの前で行われている海賊ショーが、開演5分前になって突然中止になった。30分以上前から並んでやっと、というときに中止だもの、泣くに泣けない。
カジノの中は撮影禁止だからなかなか写真が撮れないが、ここなら個人情報に影響ないと思ってシャッターを切った。ここLas Vegas で面白いと思ったのはどのホテルも駐車場が無料だということ。夜中になっても暗い道を歩かないで自分の宿泊場所へ帰れる。Buffet も比較的安いところが多い。カジノでお金を吸収するので他のところではあまりお金を使わせないという、なんて心の広い?いや、それだけカジノでもうけている、ということか?






2012年9月2日日曜日

Las Vegas 万歳!

2009年9月5日

日本からもう一人の娘をアメリカに呼んだ。ずーっと日本で一人暮らしだったので、たまには一緒に1週間過ごそうと思い立った。娘も甥にとても会いたがっていたので、喜んでこちらへ来た。せっかくなのでLas Vegas までドライブした。1泊しか取れなかったが、娘はLas Vegas を楽しめればそれで満足らしい。Grand Canyon へ行くよりも街で遊びたいらしい。



Las Vegas までOrange County から車で約4時間。長いがそれほどつらいドライブではない。途中にはRest Area が2カ所あり、休み休み行ける。ま、あまり取り立てて紹介する景色もないけれど、と言うよりあまりに変わらない景色に少しうんざりする頃、LasVegas に着く。
娘と家内はブランチ(朝食と昼食をかねた食事)のbuffet がお目当てで、もう既にリサーチしていたらしい。迷わずParis Las Vegas へ向かう。ここのbuffet は30分待ちだったがそれも計算済みだったらしい。さっさと並んで待っていた。待っている時ウェディングドレスを着た女性が記念写真を撮っていたので思わず私も撮ってしまった。




食後、The Venetian へ行く。Venice の街がそっくりホテルの中に入ってしまったようだ。運河までビルの中を流れている。漕ぎ手がカンツォーネを自慢げに歌っている。それもまた楽しい。



夜のショーのモニュメントかな?結構有名なショーらしい。でもジョークが今一分からないからなぁ。



仮面専門店みたい。私はこういうマスクが大好きだが、皆大きすぎる。もう少しstrap くらいのものがあれば買うんだが。それにしても興味津々だなぁ、何か心を乱されるような、また、自分が全く違う人間を装ってみたくなるような、魔力を感じるなぁ。


2012年8月30日木曜日

Bridge 夏祭り

2009年7月12日

ここカリフォルニアで発刊されたBridge USA という雑誌がある。日系のスーパーなどにおいてあって、自由に持っていける。そう、ただなのである。日本やアメリカの情報がただで手に入る、こんなうれしいことはない。この雑誌は月2回発行されるのだが、毎年夏になるとTorrance という街で夏祭りを開いてくれる。日本にいるとTorrance という街は聞き慣れないが、日系の工場やお店がたくさんある。最初Los Angeles に来た日本人はダウンタウンにリトルトウキョウという街を作ったが、戦後、日本の企業がアメリカに進出してきてLos Angeles の郊外にある工場地帯に拠点を築いた。いまではTorrance の方が、日本人は多いかもしれない。そこで夏祭りがHonda の工場の隣、シビックセンターの敷地内で行われるのだ。ちょっと狭い感じはするが、それでも準備は大変だと思う。
この日浴衣でもハッピでも日本の和風の姿で行けば飲み物が1本タダになるのだ。それでこんな服装をしていった。子どもたちはまだ小さいのであまり楽しめなかったようだが、家内と娘はかなり興奮していた。やはり日本人にとって祭りはなくてはならないものだと思う。それがアメリカで体験できるなんて、最高な1日だった。





さようなら、Kaplan!

2009年5月29日

7月まではまだ時間はあるが、1年間学んだKaplanはこの日卒業した。実は頑張ったかいがあって、High Intermediate のクラスに合格した。もしこのまま続けて10週間いたらIVCに行ける。でも、窓から見た授業はそれほど魅力はなかったし、この年になって新たな目標も持てないので、安い他の語学学校へ通うことに決めた。後から考えると、たとえどんな教科であってもガレッジや大学へ行っておいた方がよかったと思う。語学学校の学生はアメリカでは正式な学生とは認められないので、学校を出ても何の特典もないのだ。若い人はもちろん自分でやりたいことがあるならかまわないが、そうでなければ、絶対進学を勧める。
このクラスがIntermediate、ジョディ先生のクラスだ。ジョディ先生の真剣なご指導で、もう一つ上のクラスがぎりぎりで受かった。ところがやっぱり私は日本人なのだ。進級を辞退した。バカだよね。でも私はその方がいいと思った。実は卒業の日、みんなの前でスピーチをするのだ。ところがHigh Intermediate にあがると上のグループでスピーチしなければならない。お世話になったジョディ先生や、アダム先生、スターリング先生の前でスピーチができない、これは仁義に反すると思った。仁義ねぇ。でも私は自分のスピーチの中で3人の先生に絶対お礼を言いたかった。だから進級を辞退した。やっぱり古い人間だと自分でも思う。3人の先生方のうれしそうな笑顔を忘れない。





Kaplanでなくても同じだが、やはり若い人はどんどん私を追い抜いて英語が上手になっていく。最初は自信のなさそうな子たちもすっかり自信を持って次の目標に向かう。やっぱり若さってうらやましいと思った。ところで上の写真に写っている男の子は韓国人だがとても優しいいい子だった。私より数ヶ月後に卒業するがその後兵役があるので帰国しなければならないという。日本では思いもしなかった現実に直面し、「そうだ、世界はまだいろいろなところで戦争や紛争があるんだ」と気づかされた。日本は武力を行使しないために、日本を含めた世界は平和なんだと錯覚している。日本の役割、世界での立ち位置はどこだろうと、考えさせられた。
いつか話したアダム・グリーン先生。私が一番長く教えていただいた先生だ。彼はサーファーで、朝4時に起き、サーフィンをした後、語学学校で英語を教え、終わったらまたビーチへ行ってサーフィンを楽しむ。車にはいつもサーフボードが載っている。ただ、この日はオートバイだったが。この先生と前にドジャー球場でお目にかかったのだ。このときはたとえ相手が先生でも私は日本を思いっきり応援した。





2012年8月21日火曜日

Norton Simon Museum in Pasadena

2009年5月24日

バーベキューパーティをさよならして帰ろうと思ったが、まだ2時半過ぎ。それなら近くの博物館か美術館に行くことにして地図で探した。近くにPasadena があり、確かNorton Simon Museum があったはず、すぐ行こう、ということで出かけた。Old pasadena のすぐ近くなのに駐車場が無料。入館料も高くない。しかも美術館はフリーウェイに囲まれているにもかかわらず、大きな木立に囲まれていることもあって、とても静かだ。
 この美術館はアメリカ人実業家、Norton Simon の個人的なコレクションを基にして開設されたそうだ。(Wikipedia参照)
日本人の大好きな印象派の画家たちの作品が並ぶ人もなくゆっくりと鑑賞できるのもありがたい。マネ、モネ、ルノアール、ゴッホ、セザンヌ、ロートレックなど錚錚たる作品がまるで無造作に展示されているように飾られているのだ。日本なら長蛇の列になること間違いない。しかも、フラッシュをたかなければ撮影してもいいらしい。そんなバカな。でもみんな真剣に学ぼうという人たちが自分たちのお手本に撮影していくのだろう。絵画、彫刻が急に身近なものに思えてきた。



ここの美術館のもう一つの特徴は、南アジア、東南アジアの作品を数多く持っていることだ。今まで日本の仏像などを見てきた私にとってものすごくショックだった。日本の仏像は実に洗練されて整った美しさだが、こちらに展示されている仏像たちは躍動感にあふれ、時に思わず引き込まれてしまう魅力のある、実に素晴らしい芸術作品だ。静と動、時間が足りない。また来よう。

2012年8月20日月曜日

アメリカのバーベキューパーティにびっくり

2009年5月24日

アメリカでルームシェアした女の子一人が大学の卒業式を終え、公園でお祝いのバーベキューパーティを開くので私たちを招待してくれた。とてもうれしかったが、ちょっと用があって45分ほど遅れてしまった。連絡を受けた公園へ行ってみたが、それらしい人は誰もいない。間違ったかと思って近所の公園を回ってみたがそれらしい人はいない。焦ったり申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらもう一度最初の公園へ。うん?あの子はひょっとして?約1時間遅れで3人が集まり、これからバーベキューの準備をするとのこと。後で知ったのだが、バーベキューパーティの場合、2時間遅れぐらいでいくのがちょうどいいというか暗黙の約束事みたいだ。こちらでのセレモニーはだいたい約束の時間に到着して、それから準備を始めるということらしい。みんな車だし、途中で何があるか分からない。定時で動く乗り物があるわけではなし、だいたいその頃から準備を始めるよ、ということらしい。ちょっと遅くいくことがルールと言うかマナーと言うか、うん、ちょっと日本人には理解しがたいことだ。

これから焼き上がるまでまだ30分以上かかるというので、近くのモールにあるパーティシティ(イベントの飾りやセレモニーグッズを売っている店)でお祝いの風船やちょっとしたリボンを買ってまた会場へ戻った。

もう30人近く集まっていて、にぎやかだった。子どもたちが風船を喜び、早速取り合いをはじめたり、駆け回ったり。でもパブリックの公園なので、そんなに周りを気にすることもなく、和気あいあいとパーティは進んだ。別に誰かが仕切るわけでもなく、あいさつがあるわけでもなく、みんなでごちそうを食べながら歓談する、日本とはずいぶん違う。そう、アメリカでは結構いろいろな歓談をバーベキューパーティと称して、パブリックの公園で行うことが多い。たくさんの人が集まれるし、家を掃除しなくていいし、結構いい習慣だと思った。

約2時間、皆さんと歓談し、お腹もいっぱいになったので失礼することにした。頭の方も2時間英語ばっかりで大分疲れてきた。いやぁ、思うことの半分もはなせなかったな。

2012年8月19日日曜日

Japan Club in IVC そしてボランティア活動

2009年5月6日



 2008年の終わり頃から、あるクラブサークルに参加し始めた。Kaplan のあるIrvine Valley Collage に、大学生が運営しているクラブ活動、Japan Club がある。Kaplan の日本人留学生から勧められたのだが、アメリカの大学生が日本人と交流を持つのが目的とのこと。授業で日本語を勉強するだけでなく、その学習を生かして日本人といろいろな話題について話し合いをし、日本の文化や習慣を知るという。日本人である私にとっては何ともうれしいことだし、できることなら協力したいと思った。ただ、60歳を過ぎた初老の男性を相手にしてくれる大学生がいるだろうか、ちょっと心配だった。

心配は杞憂だった。皆とても親切で、年齢に関係なく話の輪に入れてくれた。うれしかった。


 その後、教授の先生が参加されたとき、何とか私の知識と経験を生かしてもらえないだろうか、という欲を持ち、先生に自分を売り込んだ。何しろ校長をやっていたので日本語の添削などお手の物である。東京では公立学校の校長、教頭(今は副校長)になるためにはまず論文の試験に合格しなければならない。試験当日、与えられた課題について2000字の論文を書かなければならない。しかも2本。試験勉強はまず作文練習である。短い時間で1800字〜2200字くらいの論文を書けるようになるため、毎週2000字の作文を書いていた。また、校長になると、幹部教員の作文や教科研究会の紀要原稿を、たくさん添削しなければならない。誰よりも適任だと思っていた。

教授は授業のサポートをしてくれるボランティアを探していたらしい。早速ボランティアをやることになった。私はF-1ビザなので働くことができない。日本だったら、ボランティアでも車代とか食事代とかいって少しはもらえるのだが、アメリカでは全くない。それどころか駐車場代を払うこともあった。(IVCではボランティアにパーキングシートを発行してくれたので無料になったが、この後始めたUCIでは学校として全くそういったシステムがない)

ボランティアは予想に反して、先生方の小間使いだった。校長経験者がこんな小間使いみたいなことできるか、と頭に来たこともあったが、アメリカ人の若い学生たちと話ができるのはとても魅力だった。何しろ語学学校では先生以外正しい英語を話せる人がいないのだから。どの国の学生も自信を持ってその国独特の英語を話す。

次の先生はもっと何もさせてくれなかった。日本語の例文すら読ませてもらえなかった。私なら正しい日本語で読めるのに。そんなとき、ふと思った。お前は教育のプロだろ。だったら先生がどんな意図でいま授業をしているか分かるだろう。先生が授業をやりやすくできるようにサポートしてみろ、授業を演出してみろ、そんな気持ちが沸々とわき上がった。先生がジョークを言ったときは積極的に反応し、一斉に読むときは出だしをはっきりと言い、だんだん声を小さくする。授業中よくクラスを見回し、ヘルプの必要な表情の子を読み取り、授業の邪魔にならないようにさりげなくサポートする。光のコントロールからホワイトボードの管理まで、先生に言われる前にやろうとした。楽しかった。それから先生もだんだん私を信頼し始めてくれた。

5月の上旬、IVCではクラブのブースを出して会員を募集するイベントがある。3回くらい事前に集まって様々な展示物やプレゼント、食べてもらう軽食の相談などしてきた。当日みんなとっても生き生きと参加していて気持ちよかった。私も小さなのれんをテントにつけて参加した。

アメリカ生活が楽しく前向きに生活を送れる転機になったのが、このJapan Club だった。今でもとても感謝している。